開業の頃

近隣診療所と連携して 手術的治療を

一夢をもって仕事のできる開業医を目指す―

地域医療に貢献した父

 現在、全国で8,700名もの耳鼻咽喉科医の方々が、診療、研究に従事しておられます。そのなかで、私のような未熟な一地方開業医が、臨床最前線のページに筆をとらせていただくのは甚だ恐縮です。しかし、今後開業される若い世代の先生方に何かのお役に立てればと、書かせていただくことにしました。

 平成元年4月15日に父親(小森弘)の跡をついで現在地に開業して、ようやく1年が経過しました。振り返れば、あっという間ですが、開業すべきかどうかいろいろ迷った頃からほぼ4年間、思えば感慨無量のものがあります。

 はい、耳に空気を通しましょう 平成2年4月金沢は、人口44万、加賀前田百万石の城下町として発展した地方都市です。金沢大学医学部の歴史は百年を越え、耳鼻咽喉科学教室も設立88年目を迎えました。従って、金沢周辺は、全国でも有数の医師過剰区域であり、2つの大学付属病院、国立病院、県立中央病院など600床以上の大病院のほかに、数多くの中小病院があります。また、地域内には、現在24の耳鼻咽喉科診療所が開設されています。当院は、金沢城跡の周辺、市の中心部に位置し、交通の便は良いのですが、診療圏はスプロール化のため、若年齢層の減少が顕著です。

 公務員の長男として生まれた父は、昭和16年に旧制金沢医大(現金沢大学医学部)を卒業後、職業軍人(軍医)として陸軍に奉職し、昭和21年に復員しました。戦後、金沢大学耳鼻咽喉科学教室に入局し、昭和32年に現在地で開業、目が衰え昭56年以来、簡単な鼻内手術を除いて手術はやめましたが、この間1万を越える手術を施行し、地域医療に貢献しました。

ロスの研修で貴重な経験

 私は金沢大学を卒業後、耳鼻咽喉科学教室に入局。金大付属病院、石川県立中央病院に勤務していましたが、学位を取得した噴から将来の生活、つまり、勤務医を続けるべきか開業すべきかについて、いろいろ悩むようになりました。これは皆様も一緒だと思います。

 結局、開業することにしたわけですが、これはやはり、子供の頃から父の生活を身近にみてきたからだと思います。開業医,特に手術をする開業医の生活は、一般の人が考えるような楽なものではありません。(読者の先生方はもちろんご存知ことと思いますが)。通常の診療時間が終わった後、夜10時頃まで手術を続けていた父の姿は、子供心に焼き付いています。また、時間外、深夜にお構いなしに来院する急患を診察するために(内心ブツブツいっていたようですが)、外出も避けるようにしていた父の背中をみながら育ってきたのです。

 鼓室形成術執刀中 平成2年4月しかし、ただ二代目であるからという理由で開業するのは、納得がいきませんでしたし、そのような消極的な気持で開業しても、決してうまくいかないだろうと思われました。なにか特色のある、夢をもって仕事のできる開業医を目指したいと考えたのですが、なかなか具体的な方策を立てられませんでした。私は耳の手術的治療に興味があり、その研修は熱心に心がけていたのですが、梅田教授と石川県立中央病院の徳田部長の御理解を得て、いくつかの大学病院と、ロサンゼルスの
House Ear Institute(St.Vincent Medical Center)
で研修する機会を与えられました。これらの施設での体験は実に貴重なものでしたし、特にHouseでのそれは、一種のカルチャーショックのような感じでした。その後、自ら執刀した鼓室形成術も100耳を越えるようになり、この経験を生かして開業できないかと思うようになったのです。

 しかし、開業しても耳の手術をつづけるとすると、スタッフの確保、麻酔科医の支援など、心配事がいっぱいです。またなによりも、大病院指向の現況にあって、手術を納得してくれる患者さんがいるのかどうかが不安でした。まだ30歳代の後半で、まだまだ未熟ですし、学会に出席しにくくなるのも困ります。

開業に際しての心がけ

 父は現在73歳になりますが、目の衰えを除けばいたって健康で、日本耳鼻咽喉科学会の評議員もつとめています。周囲の諸先生方は、まだまだ父親に働いてもらえ、開業はいつでもできるから、と好意でいってくれました。しかし、手術中の外来診療や、学会出張中の代診を頼めるなど、父の存命中に開業したのは、今は成功だったと思っています。

 スタッフについては、父の時代から勤務していた従業員4名と、新しく採用した従業員、あわせて正看3名、準看1名(内パート1名)、看護助手5名(内パート2名)、事務員2名、栄養士1名の12名です。麻酔担当医は、金沢大学麻酔科学教室関連病院と協議の結果、現在は、週1、2回の応援を得ることができるようになりました。父は、5年前から疲労のため診療時間を制限しており、私が開業する時から、原則として父は診療にはタッチせず、前述しましたように、私の手術中と学会出張中の代診として、外来診療を担当しています。

 開業に際して、心がけようと思ったことが、いくつかあります。

患者さん視点に立った説明が大切です 平成2年4月1)患者さんに暖かく、優しく接する事。
2)深夜の急患を断らない事。
3)手術を可能な限り続ける事。
4)つねに学問的に考え実践する事。
5)できるだけ学会に参加、発表する事。
6)入院期間を短縮する事。
7)従業員にとって楽しい働きがいのある職場である事。

以上の事は、特にあげるまでもないあたりまえのことですが、続けていくのは大変だと思います。大学病院や一般病院に勤務している時と違って、開業すると自分をチェックしてくれる人がいません。ひとりよがりにならないよう、努めたいと思っています。

1日百数十人の外来患者

 開業して1年、おかげで患者さんも増え、現在1日110−150人の外来患者、手術件数も入院を要した方だけで113人を数えるようになりました。手術内訳は、鼓室形成術・中耳根本手術25耳、声帯ポリープなどに対する喉頭顕微鏡下手術20例、慢性副鼻腔炎に対する上顎洞筋骨洞根本手術17例、上顎洞嚢胞手術11例、鼻内手術(鼻内筋骨洞手術・下鼻甲介切除術・鼻中隔琴曲矯正術・複雑な鼻茸摘出術等)27例、扁桃摘出術・アデノトミー6例、耳瘻管摘出術2例、鼻骨骨折整復術2例、顎下腺摘出術1例、その他2例でした。この内、全身麻酔下の手術は72例、64%であり、麻酔科医との連携が欠くべからざるものとなっています。この他、食道ファイバーを利用して、食道異物摘出を数例施行しました。少数例ではありますが、近隣の先輩の開業医の先生方から手術のご紹介をいただくことがあり、なによりの励みになりました。

 手術に際していちばん気を使うのは、やはり術中、術後を安全にということです。このために、手術前の患者さんには、全員近隣の内科医の診察を受けてもらっています。実際に、顎下腺摘出術を予定した患者さんに心筋梗塞が見つかって手術を中止した例があり、診診連携の重要さを身にしみて感じました。

 また、悪性腫瘍をはじめ、当院で管理不可能な疾患に際しては、金沢大学付属病院、県立中央病院、国立病院にお願いして治療していただいています。最近でも、重症の急性喉頭蓋炎症例を数例経験し、深夜にいったんは緊急気管切開も覚悟したのですが、結局は大学病院にお願いし、いまさらながら出身校が近くにあることのありがたさを感じています。CTやMRIは、県立中央病院が電話予約で検査してくれますので、たいへん重宝していますが、他院でも好意的に検査してくださり、病診連携というより、一方的にお世話になっている現状です。

高齢化社会に向けた展望

 美蕾・臨床最前線 平成2年6月20日号覚悟したはずのことで、いまさら泣き言をいうべきではないのですが、つらいのは自由時間のないことです。日曜日も回診しないといけませんし、日曜・祝日の給食は家内の仕事ですので、一家で遠出することができなくなってしまいました。短い時間でも近所の公園や野山(車で20分で海も山もある地方都市です)で子供と一緒に過ごすようにしていますが、かえって、家族の絆は深くなったような気がしています。

 いまだ開業1年、今後の展望について語る時期ではありません。しかし、いくつかのささやかな夢があります。今後ますます高齢化していく社会にあって、補聴器のフィッティングをより適切なものにしてゆくことが大切だと思います。そのためにも本年度に開催される研修会(父は第1回に参加)に参加予定です。患者さんに渡すパンフレット(病状説明用)の作成も計画中ですがなかなか進行しておりません。近隣の他科診療所とのより緊密な連携も重要で、いっそう系統だった診療が可能となってくるものと思います。

 ここまで書いて読み返してみますと、臨床最前線のページにはまったくそぐわない、私的な備忘録になってしまいました。ただ、これから開業しようとする若い先生方に、何らかのお役にたてれば幸いです。

 最後になりましたが、まだ本当に未熟な若い開業医ですので、皆様の暖かいご支援をお願いして、稿を終えたいと思います。

この一文は平成2年4月に恩師梅田良三金沢大学教授(現名誉教授)から勧められ
「美蕾」に寄稿し「臨床最前線」のコーナーに同年6月20日号に掲載されたものである


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