子どものころの夢
―医療技術、知見の高度化に伴う倫理の高度化、多様化―


お母さん大好き「また、いつもの夢だ」
胸を押さえつけられるような苦しさに襲われて、
赤座は目を覚ました。
枕元の時計は午前7時を告げている。
さわやかな目覚めを期待して、
せっかく時計を高原モード(注1)にセットしておいたのに。
「なんてこった」。
誰にいうのでもなく、赤座は毒づいた。

昨日は、患者自身の心筋バイオプシーからの
培養クローン(注2)を移植するという
世界で3例目の心臓移植手術を終えた後、
患者の家族らと話し合いをもち、
帰宅したときには時計はすでに午前0時を回っていた。

国連医学文化統合部会と世界医師会本部から、祝福のメールが届いていたが、
手術はリアルタイムに全世界に発信されていたのだ。
返事はしなくてもいいだろう。
それにしても、体がだるい。
『手術の途中からはロボットが執刀していたのだからそう疲れてはいないはずなのに』
と思ったが、どうやら体よりも心のほうが休息を求めているらしい。

トイレで電子新聞に目を通している間に、歯磨き時の極微量採血の結果と
排尿・排便時の自動検査の結果が届いた。
前立腺ガン抑制遺伝子の一部が破綻しているとある。
といっても30年後に前立腺ガンになる可能性は2%以下しかない。
それでも、念のため10分後に遺伝子修復薬が友人のかかりつけ医から、
リニアモーターシステムで届けられるとあった。

「あれは、確か小学校2年生のときだった」
赤座は朝食後のコーヒーを飲みながら、先ほど見た夢を思い出していた。
赤座がまだ幼かったころ、さまざまな障害を持った子ども達が、
ようやく地域の小学校で健常児とともに学ぶようになってきた。
赤座が小学2年生になったとき、担任の先生がクラスに転校生をつれてきてみんなに紹介した。
その子は重度の脳性麻痺であった。

最初は恐る恐るだったが、少しずつ慣れてくるとみんなの仲間になった。
しかし、高学年になるにつれ彼を邪魔な存在としてうっとうしく感じるようになり、
そのあげく、いいようのない罪悪感に苦しむことになった。
誰にも打ち明けられなかったそのときの気持ちが、夢のなかで赤座を苦しめるのだ。

当時、人々は”バリアフリー”といいながらも、心のなかではバリアを張っていた。
社会が障害をもつ人々を本当に受け入れ、
ともに生きるという意識をもつことができなかったころには、
どんなに医学が発達しても障害はある一定の割合で起こり得るものであり、
人が持つ本質的な多様性こそが未来の環境変化や新たな疾病への適合を担保し、
人という生命体の存在を保証してくれているということが、よく理解できていなかったのだ。

移植や遺伝子治療についても、5年前の国連決議(注3)により実施して良いことと悪いことが
比較的明快になってきたものの、減数手術や生命操作についてはいまだ議論が絶えない。

一方、2005年の世界医師宣言は患者の権利を守り、
医師のあるべき姿を改めて確認するうえで大きな意義があった。
すなわち、『2005年より、毎年行われる宣言の改定作業に医師以外の専門家が参画し、
インターネット上で世界各国の人々の討論を経たうえで宣言される』としたことにより、
すべてを公開するなかでしか未来はないということが世界中に示されたからだ。

患者と医師との関係をお母さん
”病に対してともに歩む人と人との関係であること”
を確認したからこそ、
暖かみのある関係が再構築された。
それすら、当たり前のことになるまでには
長い年月がかかったのだ。
道はまだ遠い、、、、、。

そこまで考えて、赤座は我に返った。
『そうだ、今日はアマゾン流域で発生した
新感染症の対策会議がマナウスで開催される日だ』
重大な問題では電子会議よりも、
顔を突き合わせての討論が必要という意見が
大勢を占めている。

エピローグ

『私が私であるように。あなたが貴方であるように』

赤座が医学部の学生だったころに聞いた言葉だ。
この言葉を思い出すたびに、互いの個性と人格を尊重し、
認め合い受け入れ合って生きることの大切さと、
それを問い続けていくことの厳しさを感じさせられる。
以来、この言葉をとても大事にしている。

『どんなに医療技術が進歩しても、それを支える倫理は
コンセンサスをつくっていく真摯な議論や過程、葛藤そのものにあるのだ』と赤座は思っている。
常に”医”の原点に立脚しつつ、人間性の再確認の作業を続けていくことにこそ
倫理の高度化、多様化があるに違いない。

『人がその勇気を持ち続けることさえできるなら』
『きっとうまくいくさ、今までだってなんとかやってきたじゃないか!』

新しい力が湧いてくるのを感じながら、赤座は椅子を立った。
これからマナウスまで、空の旅がはじまる。



日本医師会「未来医師会ビジョン委員会」平成12年3月答申
―2025年の日本―
未来の医療のあるべき姿
筆者の担当部門からの抜粋

以上は2025年の日本の医療がどうなっているかの、夢のお話です。
皆様の忌憚の無いご意見をお寄せください」

答申の全文は日本医師会ホームページからダウンロードできます。(アカウントを保持する会員のみ)
日本医師会HP
 
日本医師会ホームページ

もどる つぎへ トップへ