舳倉島を訪れるの記

舳倉島の港昭和58年。ある暑い夏の日。

「舳倉島耳鼻科健診 医師来島せず!島民待ちぼうけ!」

地元新聞の見出しで吃驚した。

耳鼻科なんて狭い世界。石川県全部併せてもたかだか百数十人。

一体誰だろう?悪い奴だ!

いつものように一日の診療を終えて、若手医師の大部屋で新聞を読んでいたら

「ピー、ピー、ピー」

ポケットベルの音。

交換室に連絡すると舳倉島診療所長 I医師から電話だという。受話器を取ると

「小森先生。どうして来てくれなかったんですか!島の人は期待して待っていたんですよ!」

おいおい、俺のことかよ、悪い奴って!

早速、事務局に乗り込みましたよ。
だって、そうでしょう。純朴な青年医師の真っ白な経歴に泥を塗られたんですから。

「ちょっと。どうなってるんですか。この記事をみてください!」

総務課長が調べてみても誰が悪いのか判らない。

診療所長は県にちゃんと言ったという。

県は聞いていないという。

病院も知らない。

私には勿論梨の礫。

そこにたまたま地元新聞の取材が・・・・・

まあ、いろいろありまして。離島センター屋上から港を見る

折角だから行ってみようか、舳倉島へ。

昭和58年9月17日。

「ウェー。ゲー」

折りしも近づく熱帯低気圧の影響で定期船は酷い揺れ。
輪島から舳倉島までの二時間。
地獄の苦しみです。無理と判っていても叫んでしまいます。

「降ろしてくれー。退きかえせー」

這う這うの体で島に着いた途端

ブーン、ブーン

「痒い!」

蚊です。それも、多勢。いや、図体も大きく、もはや蚊とは呼べない代物。
ジーンズの上から刺してきます。

「もう帰りたいよー」

その後、現在に至るまで毎年、17年間も舳倉島を訪れることになろうとは。

その時の私には知る由も無かったのです。

(こうして始まった舳倉島島民健診は、現在では県の「舳倉島における僻地総合診療」として位置付けられ島民の健康管理に役立っています。この間、ともに健診に携わった仲間である山村敏明先生(眼科)、高畠一郎先生(外科)を始め、歴代の舳倉島診療所長、県の担当者の方々に感謝致します。また、この素晴らしい経験の端緒となる機会を与えてくださったI医師〈伊藤英章先生:現輪島鳳至医師会理事〉に感謝致します。そして、何よりも私たちの健診を喜んでくださった島の方々に深謝致します。島では、今は蚊も激減し、心なしか虫体も小さくなったように感じます。定期船も平成10年からは新造船に変わり、快適な旅となりました。機会がありましたら、是非、舳倉島を訪れてください。なお文中に新年号に相応しくない表現がありましたことをお詫び致します。島のアワビの美味に乾杯!)

平成11年12月 石川医報 平成12年 新年号

と言いながら今年(2002年)も8月3−4日と舳倉島島民健診に行ってまいります。
今年は20周年ということで輪島港で出発式を挙行致します
なんと県知事と輪島市長(二人とも代理だそうですが)に見送られての健診です
スーツを着ろという話もありますが、暑くらしくってたまりません。
さて、どーなるでしょうか?

結局スーツは着ました・NHKの報道があったので良かった??

またまた今年(2003年)も舳倉島に行ってきました。鮑はますます採れないようです。
恒例の鮑飯も今年はサザエ飯になりました。でも、これが美味い!(*^_^*)
来年は7月31日−8月1日にまいります。

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