舳倉島の裏側の切り立った断崖のそばに「龍神池」と呼ばれる小さな池(三十メートル×十五メートルくらい)があります。
昔々、この島に徳のある一人の行者が渡ってきました。名を一旭行者(いっきょくぎょうじゃ)といい、毎晩池のそばのお堂へ島の漁師や海女さんたちを集め有り難い法話を語って聞かせていました。ところが、いつ頃からか法座の末席には若く美しい女性が一人座るようになりました。しかし、行者には見えても島の民にはその女性は見えなかったのです。あまりの不思議さに、ある晩の法座が終わり、その女性に問いただしました。「あなたは毎晩熱心に私の話を聞きにいらっしゃいますが、一体どなたですか」。女性は「本当は私は人間ではありません。昔からこの島に住んでいた龍です。年老い死んでこの池に沈んでいます。死ぬまでに犯した罪のため成仏できず、苦しんでいます。そこで行者さまの有り難い法話を聞きに、人間の姿に身を代えて末席に座らせてもらっています。何卒、行者さまのお力で私を成仏させて下さい」と涙ながらに訴えるのでした。
翌朝、行者は島の民みんなを集め池の水を汲み出したところ、底からは頭を北に向け横たわる大小二つの龍の骨が現れました。おびただしい数のその骨は四斗樽(約72リットル)に四ハイもありました。遺骨は島の分院に埋葬し、頭骨は輪島の法蔵寺へ運び、ねんごろに法要しました。それからのちその女性が法座に現れることはありませんでした。
このとき拾い上げられた小さい方は子供の龍、大きい方は母親龍といわれています。それ以来、法蔵寺では、毎年一月五日に龍の頭骨をご開帳して「龍の法要」が続けられ、参詣人で賑わっています。
一方、母親龍に対して父親龍は今でも海原に生きているだろうと考えられ、舳倉島分校の北隣りに「無他(むた)神社」を建立し、龍神の信仰が始まりました。この名称の意味は龍をおまつりした社は他に無いという意味を含んでいます。現在でも三月十七日に「龍神祭」と呼ばれる祭礼が続いています。そしてこの龍神のおかげで海藻がよく生え、それを食べるアワビやサザエが増えると期待されています。それ故別名「エゴ祭り」やアワビの天敵のタコを食べる日から「蛸祭り」とも呼ばれています。また島の西南端には「行者塚」と呼ばれる石積みの山があります。これは一旭行者が島の民を指導して海中から石を拾い上げて積んだもので、タコを封じ込める石積みだとも伝えられています。
なお、この伝説の主人公一旭行者は弘化四年(一八四七年)に亡くなられたといわれ、島の中央台地には「行者の碑」が建てられています。
異説には難破船の鉄分にあたって死に池の底で沈んでいる男龍を、生きている母親龍が夫の成仏を頼んだともいわれています。龍神池には最近の研究では、溶岩台地に出来た小さなくぼみに雨水がたまったもので、深さおよそ五十センチだそうですが昔から龍宮城へ通じているといわれてきた伝説の池です。
〜ふるさとの風と光と〜 第4巻から〜