「いらっしゃいませ」
―しげ乃木―
「医療とIT」という標題での対談(注1)は結構それなりに重荷であったらしい。
対談後の会食の印象記を「いらっしゃいませ」に。
という編集長の命令以上に
「終わった!」
という達成感と八海山に酩酊となり、何を食べたのか全く憶えていない。
参考にというのでもらってきた献立と事務局から送られてきた写真をいくら眺めても、
肝心の味が蘇ってこないのでは書きようもないではないか。
そうこうするうちに、原稿の締め切りが近づいてきた。
「拙い。どうしよう」
となれば、もう一度食べに行くしかないわけで。
早速、しげ乃木に電話。
「なにからなにまで一緒というわけには」
と渋る女将に無理やり同じ献立をお願いする。
ということで、原稿をあげるためにはと、
二度まで味わって描く究極のグルメ紀行をどうぞ!
ピンクのビッツ(注2)を泉野にある店の駐車場に留めると、右手が玄関。
水を打った石畳が肌に心地よい。
「お待ちしておりました」
事情を知った女将がにこにこして案内してくれる。
「この前は座敷だったな」
でも、今日は女房(注3)と二人なので黒漆のカウンターで戴く。
まずはビール(注4)で乾杯。
向付はそら豆のゴマクリームあえ。松の実がそえてある。
「春だな」
そら豆の薄い緑が目にやさしい。
椀は海老真薯。筍、京人参、菜の花に薄切りの大根がのせてある。
真薯は真蒸と書くのかしらん。などと詰まらないことを考えながら、
一口すくって味わったら、絶品。
舌先で淡雪のように蕩ける(注5)。
ここらで冷酒を頼もうか。
八寸は白和え、鮒鮓、串打。
筍、雲丹烏賊、才巻、鮑なり。
隅に鱚の桜鮨がキュート。
酒盗をかけた赤烏賊、車海老の石焼が出てきたときには
「手取川あらばしり」が既に喉を通った後。
道理で美味いはず。
焼いた石にジュッといわせて食す石焼はこの店の定番。
造は絵具皿で。友禅柄の扇子をとると、
かわはぎ、生海栗、ガス海老、鯛、赤貝に甘海老。
一つひとつの食材にラディッシュがのせてある。
めくっては食べ、めくっては食べ。
海栗の手前に可憐な花を見つけて箸で弄っていたら
「春蘭です。食べられますよ」
若い職人さんが声をかけてくれる。
口に含むと予想したより苦くない。
爽やかな野原の香りだ。
「親父。怖いかい?」
「しょっちゅう怒られますが、善く看てくれるんで」
恥ずかしそうに応えるのが初々しくて好い。
箸休は餅揚げ。
2合ばかりも「あらばしり」を飲ったところへ焼物となれば、
「八海山(注6)」がおいでおいでをしていても
仕様があるまい。
稚鮎にたたみ鰯を炙ってチリ酢でいただく趣向だが、
ちょっぴり辛い味わいが喉越しを確かにする。
「紙鍋でございます」
蛤、かさご、蕨を頬張りながら、女将に親父の出自を問うたら、
「三男なんですよ。養子に入ってくれるもんだと思ってましたのに、
私が獲られちゃって」
「店の名前ですか。亭主が茂信ってましてね」
惚気話になっちゃったので、早々に退散(注7)。
食事が白魚茶漬けとくれば、お代わりも当然か。
黒蜜ゼリーをデザートにして店を辞するときには、
またまた酔っ払ったが、
今度は取材ノートにちゃんと書いておいたので、大丈夫!大丈夫!
注1.服部金沢工大教授との対談。石川医報掲載予定。
注2. ピンク・メタリック。女房の車でお出かけが恒例。
筆者の8年物、黒のラルゴはガレージでお昼寝が続いている。
注3.亭主の深酒のおかげで相伴できる幸せもの。下戸。
注4.アサヒになさいますか?それとも麒麟?
などと聞く店が多いが、大概にしてほしい。
こちとらは麦酒ならなんでも好いくち。
注5.余りにも儚い味わいに匙加減を尋ねたら「ひ・み・つ」と女将がのたもうた。
注6.謂わずと知れた魚沼郡は六日町の銘酒。
注7.親父と女将のなれそめは、読者がご自分でお聞きを願いたい。